日記「生前天国」
九月十七日(日)
颱風が直撃するというのでハナから休み気分で起きたら、全然雨が降っていない。それなら、ということで、見まわりとイナゴ*1捕りだけでもしようと田んぼに行く。行ったら行ったでじきに雨が降ってきて、早々に切り上げて帰ってきたらきたで雨がやむ。「もうええわ」と思い、休みにして、あとはまた一日家にいた。
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以前、こんなツイートをした――
毎日、三四時間だけ野良仕事して、あとは友人と縁側や畦で虫や鳥をみながら酒をのむ生活がしたい。雨ふれば即休みにして、本を読んだり映画を見たりぼんやりしたりしたい。農繁期だけは友人・家族と共働して済ます。それも田んぼ重視、あとは手隙に、暇つぶし程度に。そんな生活が健全で完全ではないか pic.twitter.com/UiOwGEVpHI
— 東 祥平 (@shhazm) 2017年7月27日
こんな生活を思い描きながら、それにむかって日夜わたしは進んでいる。前途はけわしいようにも思われるし、なだらかなようにも思われる。いまのところはまずまず順調といったところか。
わたしにはこれ以上の生活は考えられない。おもえばこの生活像は、少年期に思い浮かべていた天国や極楽などの漠とした像を原基として、細部をいくぶん実際化・具体化した像のようでもある。
ところで、天国を天国として死後に想定することは、地上の生活を慰めもするだろうが、ときにわれわれに地上の改善をあきらめさせはしないか。天国を夢見て現在の不全にガマンするなど御免だ。死後の天国に俟つより、わたしは生前の「天国」を熱烈に求める*2。
しかし、地上の「天国」とはいえ、否、「地上の」天国であるからこそ、観念的な方向からのみの接近は失敗におわる。天国の像に引きずられて甘さをもって向かっても、天国は遠のくばかりだ。
観念は軽く、肉体は重い。軽いものは動かしやすいが、われわれが地上に立つ以上は、肉体を動かすことによってしか地上のものは動かせない。動かしがたいからといって、動かしやすいものに逃げては何にもならない
結局のところ「地上の天国」を構想するにしろ、その実現はまずもって、たとえば作物の種子を地上に播くというような、ごく肉体的な仕事からしか始まらない。
重さを排除することによって天国に至ろうとするのではなく、重さの只中で、むしろ重さを引き受けることによって天国を実質的に作ってゆくこと。
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雑誌をつくりたいと思っている。野良仕事の合間の「一休み」として、おなじく野良仕事をする同士と呼びかわすためのひとつの「合図」として*3。
日記「あたりまえに尊い」
九月十六日(土)
颱風接近にともなう雨で野良仕事ができずにずっと家にいる。朝からビールを飲みながら、アマゾンプライムで海外ドラマ(『ダウントン・アビー』)を見たり、小説(『存在の耐えられない軽さ』)を読んだりするが、退屈をしのぎきれない。
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通俗な映画や小説で泣くことについて、最近友人との会話で言及している気がする。自分でもあとで驚くのだが、わたしはけっこうカンタンに泣くことがある。このあいだは映画『君の名は』でも泣いたし、今朝は上記のドラマ『ダウントン・アビー』でも涙ぐんだ。
ジャック・フォレスチエは涙もろかった。映画や、俗悪な音楽や、さては一遍の通俗小説などが、彼の涙を誘うのだった。彼はこうしたそら涙と、心の底からあふれ出る本当の涙とを、混同したりはしなかった。空涙というやつはわけもなく流れるようであった。
ジャン・コクトー著『大股びらき』の冒頭の一説である。わたしはこれに共感したい。たとえば、映画の切ない場面でわたしの目ににじむのは「空涙」であって、ほとんど生理現象のようなものだと言い張りたい。それとは別に「本当の涙」とやらが自分にあるのかはわからないが、自分の名誉と自尊心のためにも、そういうことにしておきたい。
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iPhoneの新作が出るらしいじゃないですか。顔認証やワイヤレス充電の機能が付くとか。テクノロジーの進展はまことにメザマシイですね。
それはともかく、しかし、「新しさ」に身を投じすぎるのはよくないですよ。新しさに付いていけるうちはいいが、どうせそのうち年をとって付いていけなくなる。新しさにしか価値を感じられないでは、やがて自分に価値を感じられなくなるということですから。「新しさ」には付かず離れずのテキトウな距離をたもったほうがいい。
もっとも、のちの悲惨には目もくれず、脳天からつま先まで時代の流行に追随し内面化するのも若人の特権かもしれず、それはそれで、やがて振り返ったときの思い出になればよい。年をとって、自分が「古く」なったときには、また別のところに価値を見出すのでしょうから。
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不易のカテゴリーに属する営みに身を置くこと。
わたしは流行よりも不易に関心がある。つまりは、メシを食ってクソして寝ること。これはどうしたって廃れようがない。とすれば、メシ(米)を作ることも不易に属するはずである。だからわたしは、iPhoneを使いながらも、米を自分の手で作っていたい。
関連して、先日こんなツイートをしていた――
人生なんか、メシ食ってクソして寝る、要はそのくりかえしだ。これらの合間に談笑や恋や諍いやがあり、楽しさや切なさや苦しさがある。しかしそれだけだ。それだけだが、あんまり悟りすまして一喜一憂しないのもつまらん。それだけだが、それだけのことをこの身全部で精一杯やるのが人生だ。
— 東 千茅 (@shhazm) 2017年8月23日
思うに現代人は(といって昔の人がどうだったかはしらんが)とかく生きることを見下げていて、それゆえに生きることになにか他の意味合いを付与したがる。メシ食ってクソして寝る、これが生きるということだ。生きることはこれ以上のことではありえないし、これ以上のこともありえない。
— 東 千茅 (@shhazm) 2017年8月23日
わたしには、流行は不易以上にはなりえないという価値意識がある。もっとも、流行と不易とを同じものさしで計るべきではないかもしれないが、流行側の人間が不易を不当に軽視しているような気がしてならないのだ。
メシを食わねば生きられぬ身でありながら、メシを作る行為を見下げてよいはずはない。メシを作る行為はあたりまえに尊い。あたりまえすぎるから軽んじられもする。しかし、軽んじたところで、人間それ以上のことなどできやしないのである。
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昨今よく見られることだが、近代的生活の反省とか反動から、野良仕事一般を必要以上に持ち上げることは控えたほうがいい。
衣食住に関わる仕事はあたりまえに尊いが、あたりまえであるので、あたりまえの位置に置いておけばよいのである。不当に貶めることも、不当に持ち上げることもせずに。
たとえば、ニワトリを飼ってそいつらをツブして食べることを、殊更に忌避することと殊更に神聖視することとは紙一重である。家畜を殺して食べることはあたりまえの営みだ。
あたりまえのことはあたりまえにしていたい。
さようなら
一時の人恋しさで誰かに会ってもいいことはない。そう経験則として知ってはいるものの、こう一気に秋めいては閉口する。
大切な人を先日亡くした。
森下さん、享年九十二。
一昨年、大宇陀に移り住んだばかりの右も左もわからないわたしに、病いをおして野良仕事のいろはを教えてくださった方。まるで実の孫に接するかのようにいつもやさしい、風流で、几帳面な方だった。
鍬の使い方、木の切り方、縄の綯い方、刈払い機の扱い方、等々を手取り足取り指導していただいたばかりか、田畠を貸してくださり、あまつさえ敷地内に鶏舎まで建てさせてくださった。この人との出会いなしには、わたしのここでの暮らしは今の半分も成り立っていないだろう。
惜しい人を亡くした。
夜になって気温が下がってきた。乾いた冷たい空気を吸うたびに、さびしさが体内に侵入してくる。薄雲が星を隠してゆく。
森下さん、さようなら。
至福の反復としての里山生活
今年も夏がきて、米作りの仕事が増えてきた。
わたしはいま、棚田に水をためるための畦塗りを順次すすめている。土と水と天気を相手に、相談し、挌闘し、懐柔し、歎願しながら、和解してゆくのがおもしろい。
(畦塗りをしてそこに大豆を播く。刈り草を乾燥と鳥害防止に置いてある)
畦塗りがきちっとできると、自然の内に人工してやった感でぞわぞわする。塗った畦がコンクリート様の見た目で、凸凹のない曲線だからというのもあるが、なにより自分の手で陸地を湿地に変えてしまえたからだろう。たしかにここにはある種の恍惚があるから、ここから自然破壊にいたる道筋には納得できる部分もないではない。
が、塗って水がたまるやいなやカエルどもが集まってくるのには、彼らに生きられる場所を提供してやった得意さを感じるとともに、どこか自分のほうが救われた気がする*1。畦塗りという人工がむしろ、こうして生物多様性を富ますことには別種の恍惚があるのである。つまり、ここにとどまるかぎり、人工と共生、二つの恍惚を味わいつづけられるわけだ。
わたしはいま「とどまる」と書いた。というのは、こうした「里山」の均衡状態を超え、それを一段階としてより人工的に自然を統御してゆくことも、現にわれわれはしてきたように、われわれにはできるからだ。
しかしそれは、環境破壊につながるばかりでなく、共生の恍惚を放棄することである。一方を捨て、もう一方だけを取るとは禁欲もいいところだ。いまこの地点から見返せば、われわれの「文化的」生活のほうがかえって寡欲的で、里山生活のほうが強欲的であるとすらいうことができる。
換言すれば、いま里山に生きなおすこと(里山保全ではない!)はきわめて妥当でありながら、なおかつそこには、ふつう考えられているような無欲な消極性とは真反対の、貪欲な積極性があるのだ。しかも今や、かつてのような技術的また階級的な制約はなく、われわれは自主的な意志によって里山生活を選ぶことができるのである。
これまで里山は、手段であっても目的とされることはなかった。里山環境を途上と捉えるのではなく、極地と捉えること。いま里山に生きなおすことは、外形的には復古であるにせよ、精神的にはまったき革新なのだ。
この辺のことはしばしば勘違いされる。実際、復古的にやっている連中もいるから、その点すこぶるやりにくい。
里山に暮らすことは、人間が自然に復帰する道であるにはちがいない。だから、復古的形質をおびるのは避けようのないことだ。が、過去のある時点を憧憬することは、苦しくむなしい自己否定に帰結する。是非はともかくとして、われわれは現在に否応なく自己同一しており、現在をおいて他に開始地点はないはずである。
さらにいえば、われわれの向かうべき里山は以前の里山ではない。われわれはいまや、より多種共生的な方法をもって里山を形成しなおすことができるのであって、昔日の仕方であるという理由だけでその仕方をなぞるべきではない。
他方、里山生活を革新的と見る連中とて、その多くは口が先行しがちなうえ、自身の土に触れる機会きわめて僅少にして、観念的で皮相なイメージの流布に終始し、結局は里山生活を流行カタログのひとつに貶めている。こうした輩は復古的な連中よりも邪魔な存在である。
記憶や記録といった、先人や他人の経験の参照可能な蓄積があるからといって、われわれは、自身の十分な日常的経験なくして自然を語ることをつつしまねばならない。里山は、多くの他の生物と、他ならぬ人間の不断の直接行為によって成立するのであって、たとえこちらが自然の重要性やすばらしさを声高に言ってみたところで、自然のほうから出向いてきて胸襟をひらいてはくれない。言葉はあくまで人間間の疏通道具でしかなく、里山の言語とは、おのれの身一つの行動なのだ。
それに、自然は人間にとって決して生易しいものではない。牧歌的に映る里山の景色とて、多大なる労力の発揮によってやっと維持されているのである。口を動かしてばかりいないで、まずは土の上で手足を動かし、土の言葉に耳をかたむけてほしいものだ。
おまけに、里山生活は相対化してよい類のものではない。流行り廃り、好き嫌い、合う合わないの次元の話ではないのだ。里山がわれわれの生存の基盤である以上、むしろ普遍不易のカテゴリーの筆頭に位するものなのである。
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「里山」という概念と実際の空間とは、爾今ますます重要になってくるはずである。
人間と自然との(また人間と人間との)「入会地」として。相侵さないための緩衝帯として。そしてまた、より積極的な意味において、互いの営みによって相乗的に自他の生活を豊穣化する共生空間として。人間社会の中に自然を呼びこみ、自然の中に人間社会をさし戻すためにも。
里山は、自然の範囲にまで拡張された社会空間であり、人間社会をも含めた自然空間ということができる。
人間が狩猟採集から農耕に移行したことで、地理的に里山は生じた。里山環境に適応した生物も多く、その意味で里山は、人間と自然の合作であるといえる。進歩史観的視点から見ればそれは、人間の過渡的な妥協策であるにせよ、今後は、人間にとって究極的かつ積極的な生活空間として里山を位置づけ、これを運営しつづけてゆくべきだとわたしは思う。
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里山の維持は農耕を軸におこなわれるから、農耕という営みもいま再び照明されることが望ましいけれども、これまでの農耕とこれからの農耕とは、里山の捉え方とともにその性質を変容されねばならず、そのあたりに微妙な問題が横たわっている。
農耕は最初、天候不順や食糧難にあたっての苦肉の策だったかもしれない。しかしそののち、農耕の知識の蓄積と技能の向上とが食糧の増産をとおして、人間の覇権を決定づける基礎となったことは明白で、そうした現代文明にまでつながるという点に従来の農耕の功罪がある。
従来の農耕はごく社会的な営みとして行われてきたといえる。農耕には必然的に自然との交渉という性質のあることはいうまでもないが、そうした部分は、社会によっても、従事する当人たちによっても閑却されてきた。自然と照応し交感しながら食糧を生産する農耕の共生的営みそのものではなく、社会的な利益と支配をねらった増産が主たる目的とされ、社会的富としての収穫高ばかりに目がいってきたのである。それは、現代主流のいわゆる慣行(!)農法の形態を見てもあきらかである。
無論、農耕という行為の主目的は食糧の獲得ではある。けれども、それはあくまで生存のための食糧である。それを矮小な人間の社会的価値に転化することは、人間が生物界において孤立し、つけあがり、さらには互いに食い合う、高度に入り組んだ自閉的無援世界に行きつかせざるをえない。そこでは、あらゆる社会問題が根本的には永遠に未解決のまま、それぞれきわめて利己主義的な立場からの不毛で観念的な議論がくりかえされ、そのせいで無益に血と涙が流れつづけるであろう。
われわれの社会が農耕を前提し、農耕が自然を前提している以上、自然から遊離することで社会が機能不全に陥るのは原理的に必定である。したがって——もしわれわれがそれを望まないとしてだが——これからの作業として、社会を自然に埋めもどす必要がある。人間は一人では生きられないが、人間は人間だけでも生きられないのだ。
もっとも、社会を自然に埋めもどすといっても、原始的な狩猟採集生活をすべきだとは思わないし、それが現実的な策とも到底思えない。現状、人口的にも文化的にも農耕をつづけない手はない。
農耕は「二次的自然」としての里山を形成する。それはすなわち、人間を含んだ自然なのだが、そこには、人工と自然との均衡がたもたれるかぎり、という注釈がつく。そのため、より共生的な農耕の形態の確立と普及がまたれる*2。
自然の他者性を、統御すべき対象としてではなく、交歓すべき対象として捉えなおすこと。
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ところで、自然はくりかえす。毎日太陽は昇って沈む。春夏秋冬が順々に巡る。それに沿って各生物がおり、互いの存在を前提しあいながら、めいめいの暮らしをくりかえしている。とすれば、里山に生きるにはわれわれもくりかえすことが肝要だ。
くりかえされることはよく疎まれる。が、それはその事柄がくりかえすに値しないからだ。あるいはそれが、くりかえすに値する方法で為されていないからだ。あるいはまた、彼の感性があまりに「社会的」になりすぎているからだ。くりかえし自体はごく自然的なのであるから。そしてたとえば、毎日毎日のぼってくる太陽に、毎年毎年やってくる季節の諸相に、現にわれわれはきまって感動できている(この事実は救いですらある!)。その意味で、自然と番った事柄をくりかえし行うことは、われわれにくりかえし無上の悦びをあたえるはずである。
ここに、里山が途上ではなく極地である所以がある。ここに、里山生活が復古ではなく革新である所以がある。
われわれがいま、われわれの行動と方法と感性とをえらびなおしさえすれば、里山生活は至福の反復となるのである。
参考
鶏を育てて絞めて捌いて食った
昨年十月に雛で買ってきたから、生後約半年、この鶏種でちょうど若鶏にあたる。卵をぼちぼち産みだしたところで、こんなに早くつぶす予定はなかったのだが、調子がわるくなり*2、恢復の見込みがなかったので決行した。
はずかしながら、俺は生まれてこのかた鶏を絞めたことがなかった。今まであれだけ鶏肉を食ってきたにもかかわらず、だ。殺さずに肉を食うだけだった。そのことへの、ほとんど無意識下の違和感や背徳感が毎食ごとに積もってきたのだと思う。いつしかそれとわかるくらいの大きさになっていた。
だから今回つぶすのには、早すぎる無念さはあったものの、ついに自分の手で行うのだという臨場の緊張と高揚があった。まわりの人たちからは、情がわいて殺せないだろうと言われていたものだが、いざ絞める段になってみればためらいはなく、ただ見事に殺すことに集中していた。
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絞め方はネットでも調べたが、雑誌『現代農業』のニワトリ特集にならい、首の関節を引っぱって外す方法をとった。その後、頸動脈を切って血抜きをした。
湯につけ羽毛を抜けば、もうまったく肉に見える。ここまでくればあとは調理の範疇だ。
部位ごとに捌いて完了。案外かんたんなものだった。
翌日、焼鳥にして食った。うまかった。
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われわれは、社会によって、殺さずして動物の肉を食べることをゆるされている。
われわれの多くにとって、どこかの誰かが殺した動物の肉を買ってくるのが当たり前であり、いつも肉はあらかじめ肉になって準備されてある。そうした社会の形態は長らくつづき、安定しているので、肉を食うこととその動物の死とがつよく結びつけられることはもはや、きわめて稀なことだ。
しかし、殺さずに肉を食える状況は健全といえるか。その社会状況自体はゆるされるのか。状況の長短は理由にならない。むしろ、おなじ状況が長引くことは往々にして、そのことの是非を問う視力を減退させる。
目の前に肉があるということは、当然その動物の生があり、死があったということである。
わたしは、肉を食う以上は皆、せめて一度は自分の手で殺す経験をすべきだと思う。もっといえば、折にふれて、殺す際の手の感触を経験しつづけるべきだと思う。人間はじきに忘れたり、そうでなくとも観念的になったりするから。
殺せないなら、肉を食うべきではないだろう。これは、その動物への敬意の問題というよりは、社会以前の自然の理への自覚と参加の問題である。
われわれは社会に生きていると同時に、社会がそのなかに包含されてあるところの自然に生きている。たまたま現行の社会の仕組み上、自然との関わりをかぎりなく間接的に済ますことができるからといって、われわれ自身が根本的に逃れようがなく自然によって存立しているからには、自然との直接機会を避けつづけることは決してゆるされるものではない。
*
なにもこれは肉食に限定した話ではないが、こと肉に関しては、世に鼻持ちならない言動が多すぎる。身体的な直接経験の不足によって、人は容易につけあがる。
無知から、多くは単に弱さと自己欺瞞から、肉を貪りながらその動物の死を遠ざける者に、肉の味がわかってたまるか。
米を作ってから来い
米を自分の手足*1で作っていない者の言うことは、とりあえず聞かなくてもよいとわたしは思っている。
考えてもみてほしい、生存必需品の筆頭たる食糧を、(作ろうと思えば作れるにもかかわらず)自分で作らないままに発せられる言葉とはいったい何か。米を作らないことは、生きることを外注しているのにも等しい。自分で生きていない者の言葉には、それがどんな言葉であれ真実が欠ける。
なるほど今は分業制の世だ。そういう社会だから云々と、君らは反論あるいは弁解するだろうか。しかし、わたしにとっては現行の社会構造がどうであろうと、そんなことは関係がないのである。そもそも社会を盾にとる時点で、わたしが聞くべき言葉を君らが持っているとは思えない。
社会とは方便にすぎない。方便は利用すればよいが、方便は方便だ。真実ではない。そこに根を張っていては真実は語れない。自身の存立の基底にむかって徹底的な詰問をほどこせば、土に行きつくほかはなく、土に根を張ってこそ真実も得られる*2。
これは社会以前のひとりひとりの問題だ。生きるということ。このことはあまりに等閑されている。「生き方」が乱立する時代だが、わたしに言わせれば、大方の自称する「生き方」など生き方の数に数えられるものではない。生きて何かをする前に、生きること自体をすべきだ。
まずは米を作れ。話はそれからだ。
味噌を仕込んで
立春に入ったきょう、はじめて自分で作った大豆で味噌を仕込んだ*1。
大豆栽培・味噌作りは、わたしにとって米作りに次ぐ重大事である。
これら二つは、自給生活における「食」カテゴリーの仕事の最優先事項であるばかりでなく、下位を大きく引き離している。なぜなら、米と味噌さえあればとりあえず生存できるであろうからだ*2。
その意味で、他の食材はほとんど嗜好品と見なしてもよい。生活の自給には、包括的な仕事と平衡感覚が要求される。文化的枠組みのなかで、まずは生存の条件を充たすための幾つかの仕事を優先すべきであり、それらに傾けるべき時間と労力を、あってもなくてもよい物のための仕事や何か一つの仕事のみに使いきってしまってはならないのである。
われわれの多くが、一日の大半、週の大半を囚われの身でありつづけるのは、こうした包括的な仕事や平衡感覚に欠けるためだ。
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大豆を栽培し、その大豆で味噌を仕込むところまで来たことは――味噌ができあがるまでには今しばらく期間を要するものの――、領土の奪還に似た感覚をわたしに与える。ある一つの重要な部分が、きょうわたしに復帰したのだ。
例によってこの味噌も「無政府味噌」と呼称したい。