おれの鳥はうたっている
街をほっつき歩いてだよ、くたびれたら、こうやって休むんだ。それで一番飲みたいものを飲む。それでいいだろ?それ以上、つべこべ考えることはないよ
自動車にひかれて死ぬとか、歩いてるうちに脳溢血でバッタリ倒れるとか、戦争で弾に当るとか、そういう死に方しか有り得ないと言う。どこでどう死んでも同じことだけれども、何か、こう、家庭的なものに見離されたという感じも、決して楽しいものではないのである。家庭的ということの何か不自然に束縛し合う偽りに同化の出来ない僕ではあるが、その偽りに自分を縛って甘んじて安眠したいと時に祈る。
一生涯めくら滅法に走りつづけて、行きつくゴールというものがなく、どこかしらでバッタリ倒れてそれがようやく終りである。
トークイベントのあとがき
去る6月26日、大阪は豊中の書店blackbird booksさんにて、『つち式』*1の創刊記念トークイベントを開催した。
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【追記】
イベント音源は録音ミスにより失われたと書いたが、参加者として来ていた友人である間宮尊が別で録音してくれていたことが判明。Podcast「おむすびラジオ」にて配信する。
彼の天賦のマネージメント能力には目を見張る。おそらく今後、『つち式』にとってなくてはならない役割を担ってくれることになるだろう。
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本をつくるひと vol.5
「十全に生きるために」
『つち式』創刊記念トークイベント
人前で喋ることにさして苦手意識があったわけではないけれども、今回はわけが違った。自分が中心となってつくった本について何かを喋ることは、困難をきわめた。緊張のため、自分が何を喋ったのかいまいち覚えていない。おそらくは、本誌の内容や創刊に至った動機、わたしの日々の生活、里山や稲や鶏や身の回りの異種たちについて、思いつくまま支離滅裂に喋ったのではなかろうか。
わたしのふだんの生活は、同種である人間たちよりも異種生物たちと共にある。多分に土の上にある。そこから本誌を書いたのだが、言葉を書くとは当然社会的な行為だ。つまり本誌創刊によって、同種たちとも関わることが照準の一つである。
今回のイベントは、その初弾であった。その精度はともかく、創刊して間もないにもかかわらず開催できたこと、しかも満席となったこと、トーク後本誌を多く買っていただけたことは、『つち式』にとってこれ以上ない十全なはじまりといえるだろう。
ちなみに、このイベントの音声は録音して後日公開する予定であったが、聴いてみるとまったく音が入っていなかった。一時間半の無音。原因は不明だ。すこし残念な気もしたが、自分の拙い語りの証拠がなくなったこと、それを理由に公開せずに済んだことで、ホッとしたというのが正直なところである(もし楽しみにしていた方があればすみません)。
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入稿前から本誌の取扱いとイベント開催を快諾してくださったblackbird booksさん、当日おむすびを握ってくださった豆椿さん、お越しいただいた皆さん、本当にありがとうございます。
この半年間、本誌製作に全面的に協力してくれた、西田有輝、石躍凌摩、豊川聡士の三名にも、あらためて謝意を表したい。『つち式』はわたし一人では到底つくることができなかった。
また、本誌の表紙絵や挿絵の作者であり、わたしに野良仕事の伊呂波を親身に教えてくださった、故森下正雄さんにもあらためて心からお礼を申し上げたい。
そして、日々、田畠においてわたしに強い印象と推力と霊感を与えてくれている多くの生き物たちにも、ありがとう。
blackbird booksさん
季節といなり 豆椿さん
日記「ほなみちゃん」
十二月丗日(土)
晴れ。
棚田の整備、昼飯、縁側で昼寝、麦踏み、あそびにきた教え子どもと焚き火、棚田の整備、帰宅して来年用の種籾の脱穀。
(種籾の脱穀を手で行う)
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年末ということで、人間社会はなんとなく浮ついた独特の空気になるが、里山は年末だからといって特段なにかが変わるわけでは勿論ない。冬至がすぎ、すこしづつ季節が進行しているだけだ。
わたしは、社会よりも多分に里山側の存在であるので、やむをえず社会側に出向く(実家に帰る)ギリギリまで、里山の存在として普段と変わりなくすごしたかった。
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のろけ話をしたい。
稲、わが命の光、わが胃袋の炎。わが罪、わが魂。
連日、日が暮れて帰宅してから、夕餉の前後に種籾の脱穀をしている*1。食用とはべつに、特に育ちのよく見目うるわしい株をわけて、来年の種として干しておいたものだ。
食用と同様に足踏み脱穀機を使ってもよいのだが、それではなんとも味気ない。この手で、一本一本しごいて籾を落とせば、なんともいとおしさが込みあがる。親愛の念をこめて、彼女ら*2のことを、たとえば「ほなみちゃん」と名づけることにわたしは吝かではない。
もはやこれはある種の恋であると認めよう。脱穀した籾の山に鼻を近づけて、さわやかな草の匂いをかげば、夏場の田植えや草取り等々、経てきた日々が偲ばれる。この多幸感は他に比類のないものだ。
この多幸感を得ることは、全くもって合法的であるばかりでなく、なんらの文明の利器をも必要としない。身一つあれば事は足りるのである。
ほなみちゃんのことを、生涯大切にしていきたい。
日記「幸福の証明」
十二月十六日(土)
曇り時々小雨。
終日黒豆の脱穀をした。
(十一月、熟すのが遅く、一株残した黒豆に入り日がさしていた)
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黒豆は、先の青豆と比べて量がなかったから、全部手で莢をはずした。足踏み脱穀機を使ってもよかったのだが、手を動かしながら考えごとをしたかったし、なによりきょうは自分の手だけで事を為したい気分だった。
焚き火の前で枝からひとつひとつ莢をむしるあいだ、わたしは独り幸福でいた。幸福——この言葉でよいのかいまいち釈然としないものの、これが幸福でなかったら一体ほかの何が幸福であるというのか。社会とは掠りもしない、社会には何も担保されるところのない、ただわたしという一匹のホモサピエンスと、その蛋白源としての大豆という植物たちとが触れ合っているだけの静かな時間が流れていた。
手を動かしながら、わたしは今こんなにも幸福であるのに、それを知る者、見る者のいないこと、まして同様のことをする者の今やおそらくきわめて少数であることが、不思議に感じられた。ここを離れて一体どこへ行こうというのか。
日も暮れ、夕餉をすませても、服についた煙のにおいが、わたしの幸福を証明しつづけている。
日記「何も言いたくなくなる」
十二月三日(日)
快晴。
ゆうべは川上村の友人宅で大豆の選別作業、そのまま泊まって、今朝十時すぎに大宇陀に帰ってくる。鶏に餌やり、脱穀した米の天日干し、黒豆の残りを収穫、昼飯、米の取り込み、草刈り、棚田の法面の修復。
(筵にひろげて干す)
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もう十二月である。おもえば十一月は、稲刈りからの棚田の保守点検、米の脱穀、大豆の脱穀選別*1、と、つづけざまに何や彼やあり、それらを日々淡々とこなしていたら日数が経っていたというかんじだ。次は気づけば年が明けているだろう。
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脱穀選別をするなかで、米と大豆を手に触れまじまじと見ているからか、最近よく『星の王子さま』を思いだす。王子さまが、自分の星のバラを特別に(その他のバラと区別して)好きなのは、自分が世話をしていたからだと気づくシーン。
米も大豆も、米と大豆であることにちがいはない。しかし、わたしにとって自分の栽培した米と大豆は、日本人一般にとっての主食や主要な蛋白源ということ以上のものを感じさせる。もはやこれらを、他の米や大豆と同等にあつかうわけにはいかない。
おそらくこうした関わりの長さや深さが、何事においても物を言うのだろう。こんなことはアタリマエすぎるし、今さら言うのも気恥ずかしいものだが、たとえいろいろ別のことを言っていたとしても、結局はこんなにも単純なことが何よりよろこばしいのだという気もする。
だからもう何も言いたくなくなる。
日記「エンヂンの音」
九月廿五日(月)
草刈り、刈り草集め、昼飯、英語の勉強、草刈り。
昨晩の「枝豆まつり*1」で飲んだから、一日の開始が幾分おそかった。
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わたしが田んぼを借りている家にこんな短歌が残っている。
エンヂンの音のみ響く 孤独なり
継ぐ者無き田の畦草を刈る
おそらく三十年ほど前くらいのことかと思うが、この歌が詠まれた時点では後継者がいなかったのだろう。しかも、田んぼはやや奥まった場所で、そこにいるとあまり人の姿も見えない。そこへみて刈払機の「エンヂン*2」の騒音によって、周囲から余計に自分が切り離されている。後継者の不在と隣人の不在。二重の孤独がうたわれている。
今はわたしが田を引き継いでいることになるので、後継者という点ではこの内容はあたらないものの、さて実際、刈払機のエンヂン音は排他的にやかましい。使用中は近くで他人が叫んでも聞こえないくらいだ。しかし周りの音を犠牲にしても、鎌と比べればその作業効率は雲泥の差であるから、皆あたりまえに使っている。一振りで味噌も糞もなくきれいに刈れてしまうのだ。
これら刈払機の排他性と暴力性とは、使用者をして作業に没入さしめる。人間の征服欲みたいなものをカンタンに充たしてくれるからだろう。わたしも刈払機を使うのは好きだ。
が、どんなにきれいに刈っても、夏場はひと月もすればまた草は伸びてくる。わたしにとってはそれもよろこばしい。さすがに仕事が混んだ時などはうんざりすることもないではないが、征服の機会がくりかえし与えられるということであるし、草が生えないよりは生えたほうがよい。
畦にはいろいろな草がある。ひとつひとつを具に見るわけではないし、ほとんど名は知らないが、それでも多くの種類があるのはわかる。これら全部にすでに名前がついているのだと思うと、刈りながらなんとも言えない気持ちになることがある。
日記「生前天国」
九月十七日(日)
颱風が直撃するというのでハナから休み気分で起きたら、全然雨が降っていない。それなら、ということで、見まわりとイナゴ*1捕りだけでもしようと田んぼに行く。行ったら行ったでじきに雨が降ってきて、早々に切り上げて帰ってきたらきたで雨がやむ。「もうええわ」と思い、休みにして、あとはまた一日家にいた。
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以前、こんなツイートをした――
毎日、三四時間だけ野良仕事して、あとは友人と縁側や畦で虫や鳥をみながら酒をのむ生活がしたい。雨ふれば即休みにして、本を読んだり映画を見たりぼんやりしたりしたい。農繁期だけは友人・家族と共働して済ます。それも田んぼ重視、あとは手隙に、暇つぶし程度に。そんな生活が健全で完全ではないか pic.twitter.com/UiOwGEVpHI
— 東 祥平 (@shhazm) 2017年7月27日
こんな生活を思い描きながら、それにむかって日夜わたしは進んでいる。前途はけわしいようにも思われるし、なだらかなようにも思われる。いまのところはまずまず順調といったところか。
わたしにはこれ以上の生活は考えられない。おもえばこの生活像は、少年期に思い浮かべていた天国や極楽などの漠とした像を原基として、細部をいくぶん実際化・具体化した像のようでもある。
ところで、天国を天国として死後に想定することは、地上の生活を慰めもするだろうが、ときにわれわれに地上の改善をあきらめさせはしないか。天国を夢見て現在の不全にガマンするなど御免だ。死後の天国に俟つより、わたしは生前の「天国」を熱烈に求める*2。
しかし、地上の「天国」とはいえ、否、「地上の」天国であるからこそ、観念的な方向からのみの接近は失敗におわる。天国の像に引きずられて甘さをもって向かっても、天国は遠のくばかりだ。
観念は軽く、肉体は重い。軽いものは動かしやすいが、われわれが地上に立つ以上は、肉体を動かすことによってしか地上のものは動かせない。動かしがたいからといって、動かしやすいものに逃げては何にもならない
結局のところ「地上の天国」を構想するにしろ、その実現はまずもって、たとえば作物の種子を地上に播くというような、ごく肉体的な仕事からしか始まらない。
重さを排除することによって天国に至ろうとするのではなく、重さの只中で、むしろ重さを引き受けることによって天国を実質的に作ってゆくこと。
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雑誌をつくりたいと思っている。野良仕事の合間の「一休み」として、おなじく野良仕事をする同士と呼びかわすためのひとつの「合図」として*3。