#農耕

刈払機礼讃

あたたかくなって、草がよく生えるようになってきた。ここ最近は刈払機を振りまわす日々だ。家のまわり、田んぼの土手、近所の人に頼まれたところ――いくらでもある。 * 刈払機のエンヂンを始動する時が好きだ。チョークを閉め、プライマリーポンプを数回押…

征服の反復としての里山生活

冬のわが棚田である。長閑な景色に見えるだろうか。 だが、里山のなかでも特に棚田は、とても長閑とはいえない汗と力の産物である。山に階梯を刻みつける最初の造成はもとより、その維持にも不断の労力の発揮が不可欠なのだ。悠長に眺めつづけていては山にな…

里山へ

考えてみれば、自立した個人にとって同種他個体が必要なのは、再生産のためだけである。個人の生存にとって常時必要なのは、同種ではなくむしろ異種たちの存在である。 したがって、個人にとっては異種たちとの関係のほうが桁違いに切実であるはずで、日常的…

至福の反復としての里山生活

今年も夏がきて、米作りの仕事が増えてきた。 わたしはいま、棚田に水をためるための畦塗りを順次すすめている。土と水と天気を相手に、相談し、挌闘し、懐柔し、歎願しながら、和解してゆくのがおもしろい。 (畦塗りをしてそこに大豆を播く。刈り草を乾燥…

「無政府米」栽培宣言

権威には楯突かねばならない。 どんなものであれ、あらゆる権威は悪である*1。権威を揮うことや持とうとすることはいうまでもなく、権威に擦り寄ることも、権威に屈することさえも、おしなべて悪である。 人の上に立つことも、人の下に立つことも、まったく…

耕さない農耕

わたしが畠をするのは、農業の道を極めたいからではない。はたまた、自身の健康や食の安全を目がけているのでもない。まして商売のためでは全然ない。 わたしは、生活をある程度自給したいと思っている。そしてその先で、人間の生身と風土の側から文化を建て…

原初的にして次なるものが萌した週末

先週末、大阪などから四名が畠を手伝いに来てくれた。 朝からひたすら豌豆を播いてゆく。 気持ちのよい晴天も手伝ってか、五人で掛かると作業はあっという間に片づいてゆく。 焚火を囲んでの昼飯。献立は、前夜に仕込んでおいたハヤシライス。 昼からも空は…