#随想

刈払機礼讃

あたたかくなって、草がよく生えるようになってきた。ここ最近は刈払機を振りまわす日々だ。家のまわり、田んぼの土手、近所の人に頼まれたところ――いくらでもある。 * 刈払機のエンヂンを始動する時が好きだ。チョークを閉め、プライマリーポンプを数回押…

征服の反復としての里山生活

冬のわが棚田である。長閑な景色に見えるだろうか。 だが、里山のなかでも特に棚田は、とても長閑とはいえない汗と力の産物である。山に階梯を刻みつける最初の造成はもとより、その維持にも不断の労力の発揮が不可欠なのだ。悠長に眺めつづけていては山にな…

里山へ

考えてみれば、自立した個人にとって同種他個体が必要なのは、再生産のためだけである。個人の生存にとって常時必要なのは、同種ではなくむしろ異種たちの存在である。 したがって、個人にとっては異種たちとの関係のほうが桁違いに切実であるはずで、日常的…

農耕実存所信表明二〇一八

今年の稲こぎをおえ、大豆の収穫・乾燥の時期にさしかかったこの頃、来年以降の動きについて考えることが多くなってきた。 これからの展開として、①綿花栽培からの衣服自給にくわえ、②棚田のまわり、殊に棚田の用水としての沢の上流の杉林を雑木林に変えてい…

愛され上手の生存戦略

棚田の土手にリンドウが増えてきた。よろこばしいことだ。 この放棄されていた田んぼをやりだした二、三年前には、リンドウは数株しか残存していなかった。それまでは年にせいぜい二回ほどしか草刈りが行われておらず、いきおい全体的に草丈が高く、リンドウ…

奥野克巳さんからの熱烈なご紹介について

先日、光栄にも人類学者の奥野克巳さんに『つち式』をご紹介いただいた。 『つち式』(@tschshk)読む。農耕実存マルチスピーシーズ民族誌現れる!ピュシス7割、ロゴス3割(文学と思想から成る)。退治した蝮肉を鶏と分け合い、鶏は可愛いくかつうまそうと語り、…

トークイベントのあとがき2

去る九月廿二日、鳥取県湯梨浜町は東郷湖にのぞむ汽水空港さんにてトークイベントの機会を得た。『つち式』の単独イベントとしては二回目である (一回目は大阪豊中のblackbird booksさんにて) 。 前回は大阪という都会で行ったが、今回は地方ということも…

見田宗介さんからの祝辞について

先日、なんとあの社会学界の大御所、見田宗介さんから『つち式』に祝辞をいただいた。 一足早い高原の祝福の日々に乾杯! 見田さんの著作には、日々を生きるうえでも、『つち式』を書くうえでも大変に励まされ、助けられている。そんな見田さんから祝福され…

おれの鳥はうたっている

街をほっつき歩いてだよ、くたびれたら、こうやって休むんだ。それで一番飲みたいものを飲む。それでいいだろ?それ以上、つべこべ考えることはないよ 八月に入ってから、本を読みたいという波が久しぶりにやってきている。 佐藤泰志著『きみの鳥はうたえる…

トークイベントのあとがき

去る6月26日、大阪は豊中の書店blackbird booksさんにて、『つち式』*1の創刊記念トークイベントを開催した。 ―――― 【追記】 イベント音源は録音ミスにより失われたと書いたが、参加者として来ていた友人である間宮尊が別で録音してくれていたことが判明。Po…

さようなら

一時の人恋しさで誰かに会ってもいいことはない。そう経験則として知ってはいるものの、こう一気に秋めいては閉口する。 大切な人を先日亡くした。 森下さん、享年九十二。 一昨年、大宇陀に移り住んだばかりの右も左もわからないわたしに、病いをおして野良…

至福の反復としての里山生活

今年も夏がきて、米作りの仕事が増えてきた。 わたしはいま、棚田に水をためるための畦塗りを順次すすめている。土と水と天気を相手に、相談し、挌闘し、懐柔し、歎願しながら、和解してゆくのがおもしろい。 (畦塗りをしてそこに大豆を播く。刈り草を乾燥…

鶏を育てて絞めて捌いて食った

先日、飼っている名古屋コーチン*1をはじめて食った。 昨年十月に雛で買ってきたから、生後約半年、この鶏種でちょうど若鶏にあたる。卵をぼちぼち産みだしたところで、こんなに早くつぶす予定はなかったのだが、調子がわるくなり*2、恢復の見込みがなかった…

米を作ってから来い

米を自分の手足*1で作っていない者の言うことは、とりあえず聞かなくてもよいとわたしは思っている。 考えてもみてほしい、生存必需品の筆頭たる食糧を、(作ろうと思えば作れるにもかかわらず)自分で作らないままに発せられる言葉とはいったい何か。米を作…

味噌を仕込んで

立春に入ったきょう、はじめて自分で作った大豆で味噌を仕込んだ*1。 大豆栽培・味噌作りは、わたしにとって米作りに次ぐ重大事である。 これら二つは、自給生活における「食」カテゴリーの仕事の最優先事項であるばかりでなく、下位を大きく引き離している…

若さの安売りについて

起きているあいだは、意識しないときでさえ、俺はずっとイライラしている。それが長く続いているせいで、アイデンティティの基調にすらなっているほどだ。 同世代への苛立ちがその最たるものである。以下はだいぶ前に書いた文章だが、さっき読み返してみて現…

「無政府米」栽培宣言

権威には楯突かねばならない。 どんなものであれ、あらゆる権威は悪である*1。権威を揮うことや持とうとすることはいうまでもなく、権威に擦り寄ることも、権威に屈することさえも、おしなべて悪である。 人の上に立つことも、人の下に立つことも、まったく…

自給行為にまつわる骨抜き問題について

きのう、鶏舎の柵の扉が完成した。その野趣に富むデザインはわれながら見事だと思っている。 そこでドヤ顔でfacebookに投稿した。 しかし、この投稿の、以前の綿花についての投稿よりも反響がすくなかったことは、ある種の「ズレ」をわたしに感じさせる。 た…

耕さない農耕

わたしが畠をするのは、農業の道を極めたいからではない。はたまた、自身の健康や食の安全を目がけているのでもない。まして商売のためでは全然ない。 わたしは、生活をある程度自給したいと思っている。そしてその先で、人間の生身と風土の側から文化を建て…

鶏舎建設まとめ

先日、ようやく鶏小屋が完成した。 おもえば、三月末に建てはじめてから五ヶ月もかかった。といっても、梅の咲きのこる時分に柱だけ立てて、それから七月末までは完全に放置していた。すぐに農繁期に入り、構っていられなかったのである。柱を立てれば、忙し…

もってこいの日

今朝、外に出てみると、昨夜の大雨が嘘のように、空は青く、空気はいやに乾いて澄んでいる。颱風10号が、この辺一帯のあらゆる湿性のものを連れ去ったらしい。地上の一切のものは洗われて、清潔にきらめいていた。 気温も低い。まるで秋だ。夏も颱風に引っぱ…

夏の夜の対流圏

大宇陀の夏の夜はすばらしい。おそらくは標高や地形の加減で、昼と夜の気温差が著しいこの土地では、夏の盛りであっても夜になれば涼しくなる。 ここでは熱帯夜になる夜はほとんどない。それゆえ夜間はクーラーなどいらない(事実、わが家をふくめクーラーを…

明日、死ぬかもしれないということ

時折、現世への、またこの生への興味がさっと引いてゆき、何をする気も起こらなくなることがある。 こういう気分はたまにやってくる。ある時はこれが鬱というやつかと思ったこともあるが、そういうものとはどうも違うらしい。気がふさぐわけではない。ただた…

ステキな行方不明

行方不明! なんと甘美な響きだろう。ニュースなどでこの一語を見聞きするたびに、僕はつねづねそう思ってきた。 われわれは生きているかぎり、日々履歴を積み上げてしまう。それは人を支えもするが、制約しもする。僕にはそれが煩わしくなって、世間からも…

数日前の暮れ方、畠にある栗の木の切り株に、セミの幼虫が這い上がってくるのに出くわしました。 種類までは不案内でわかりませんが、ものによっては十数年、土のなかで暮らすのもあるとか。あまたの危機をくぐりぬけ、満を持して地上に出てくるのでしょう。…

アレロケミカルがありあまる(日記)

前回の「日記」で、フェロモン (生物の同種個体間に作用する物質) の圏域への、わたしの欲求について触れた。わたしにとってものを書くことは、ニンゲンという同種個々体へむけた、ほとんど一方的な発信であると。そして、わたしがそうせずにいられなかっ…

日記 五月廿五日(平成廿八年)

書くということ――それが自分にとってたいへんな重要事なのだと、ここ一二ヶ月、ほとんど野良仕事にのみ時間をついやしているあいだ、感じつづけていた苛立ちによって思い知った。 わたしはこれまで、他人に見せられるかどうかの自分のなかの一線を超えたもの…

すごもりびと とをひらく

季節は二十四節気で「啓蟄」、七十二候では「蟄虫啓戸(すごもりむしとをひらく)」である。春らしい気候になり、まさに暦どおり、畠ではカエルやトカゲの姿が見られるようになってきた。 梅や椿や蕗や、その他無数の植物たちも花を咲かせ、ひしめきあい、地…

貪婪なわたしたち

わたしたちの世代は、しばしば年長の世代から「欲がない」と非難気味に評されてきた。さすがに現在ではそうした声はすくなくなったが、いまだに耳にすることもある。 そうした声に対する、わたしたちの反応ないし反論は、「ほしいものがちがう(変わった)」…

実生活に関する覚書き

もったいつけて、ヨガだ座禅だ瞑想だの(その他多くの同種行為)を生活にとりいれ、挙句これ見よがしに持ちだしているうちは、人類はまだまだなのだろう。わざわざそんな面倒なことをせねば、宇宙の原理(みたいなもの)にいまだ触れられないとは、じつに嘆…