野生部創部にあたって

 耕作放棄地同然であった畑地の整備が完了し、蒔いた夏野菜の種が出揃い、裏庭の鶏小屋に名古屋コーチンのつがいがやっきた。ここ大宇陀における私の田舎暮らしも、徐々に「らしく」はなってきている。

 そもそも私は、生きるうえでの自力をつけようと思ってここに来たのだが、しかし、いくつか問題もある。ここには自給に向く豊富な環境があるにもかかわらず、私はそれを活かしきれておらず、あまつさえ、取りかかるべき事案が多く、私一人の手では遅々として片づいてゆかないのである。
 この世で物理に抗うことはできず、人間一人が影響可能な範囲は限られているし、また、同世代のなかには、私と同様の心境の持ち主もいると踏んだから、この度「野生部」なるものを設け、協働の機会を持とうと思った。
 

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 さて、この野生部、世に数多ある体験企画と何が異なるのかというと、行ってゆく一つ一つの事項すべてが、自力による生存または生活に直結しているという点である。その意味で、この「部活」には娯楽要素は特に加味しない。
 また、一定期間ごとに主軸となる活動項目は定めるものの、日常的な作務も毎回の活動内容に含まれている。それは、畑や鶏の世話であったり、薪拾いや薪割りであったり、裏山の間伐であったりする。
 このように、すべて野生部の活動は、田舎における自給技術の習得が主題となっている。
 
 ところで、協働にあたって、ここで人々の差異についても言及しておかねばならないだろう。
 もとより我々に差異はあるが、その相性を云々している場合ではない。すくなくとも、野生への志向、その一点の一致において、我々は協働を惜しむべきではない。その他の趣味嗜好、思想信条はどうでもよい。物事の推進には、最小単位の、つまりそれに関わる点のみにおける同意があれば事足りるはずなのだ。
 これが、野生部の基本姿勢である。
 
 結局のところ、我々は、この人生に勝てはしなくとも負けないために、ある程度の戦略を用いなければならない。
 すでに我々の世代は、年齢的な帰路に立たされており、もうあまり時間がないという、さしせまる現実的な事情もあるのだから、優先すべき事柄に早急に取りかかる必要がある。
 そしてまた、生き残りを懸けて、ときには手を結ぶ必要もあるのだ。野生部などと、野生を目指すと言いながら協働の形態をとるという、いとも滑稽な企画になった所以である。
 
 以上、縷々述べたが、ここまで書いて、こんなものに人が来るのかと自分でも改めて思う。
 上のチラシがよくその内容を表しているように、ふざけた企画だが、関心があれば参加してもらいたい。
 
野生部詳細