原初的にして次なるものが萌した週末

 先週末、大阪などから四名が畠を手伝いに来てくれた。

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 朝からひたすら豌豆を播いてゆく。

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 気持ちのよい晴天も手伝ってか、五人で掛かると作業はあっという間に片づいてゆく。

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 焚火を囲んでの昼飯。献立は、前夜に仕込んでおいたハヤシライス。

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 昼からも空は晴れつづけ、作業は捗る。

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 リズムに乗って豌豆をひたすら播く。

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 晩飯の具材を収穫。

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 合間に音楽に合わせて踊る人々。

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 作業終わり、土に還ろうとする人々。

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 音楽に乗りすぎて料理が捗らない人々。

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 晩飯は野菜まみれのうどんすき。

 こうして、私が他の作業に手間どって播きあぐねていた大量の豌豆を、今回で全て播くことができた(つるなしの絹さや、兵庫絹さや、スナップエンドウの三種)。これで今年の大きな仕事は一切完了し、一段落といったところだ。

 

 ところで、今回の共同作業をとおして、私は次代の営みの萌芽を垣間見た気がした(尤も、私がそれと気づかなかっただけで、これまでにも機会はあったはずである)――こう言うと大袈裟だが、現代日本の有機的溌剌さを失った文化を再建する糸口は、やはり人間のごく基本的な営みである農事にあると思うのだ。

 つまり、農事における必要に駆られた種々の身体運動から、それらを舞踏の範囲にまで高めてゆく人間の感受性と発想と工夫とが、協働のうちにいつ知れず生まれ、波及してゆくという、そんな一連の営みの一端が今回見られた。惜しむらくは、私は一人溜まった作業に追われていて、それを楽しむ余裕がなかったことである。

 さてここで、ひと頃一部で話題になった動画を見てほしい(以下のリンク先にある動画)。

【惚れた】アフリカの農耕がヤバイ、超かっこいい:DDN JAPAN

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 私はこの「超かっこいい」光景に、激しい昂奮とともに或る種の郷愁を覚える。ありありと感じられる土の匂い、人々のしなやかな動作、大地と結ばれた営みが喚起する有無を言わせぬ朗らかさに目を見張った。

 最善のものは、すでに最初にあったのではないか。人類の歴史とは、それから遠ざかってゆく歩みでしかなかったのではないか、とさえ思えてくる。

 さらにここで思い出されるのは、茨木のり子の『時代おくれ』という詩だ。

車がない
ワープロがない
ビデオデッキがない
ファックスがない
パソコン インターネット 見たこともない
けれど格別支障もない

そんなに情報集めてどうするの
そんなに急いで何をするの
頭はからっぽのまま

すぐに古びるがらくたは
我が山門に入るを許さず
 (山門だって 木戸しかないのに)
はたから見れば嘲笑の時代おくれ
けれど進んで選びとった時代おくれ
もっともっと遅れたい

電話ひとつだって
おそるべき文明の利器で
ありがたがっているうちに
盗聴も自由とか
便利なものはたいてい不快な副作用をともなう
川のまんなかに小船を浮かべ
江戸時代のように密談しなければならない日がくるのかも

旧式の黒いダイアルを
ゆっくり廻していると
相手は出ない
むなしく呼び出し音の鳴るあいだ
ふっと
行ったこともない
シッキムやブータンの子らの
襟足の匂いが風に乗って漂ってくる
どてらのような民族衣装
陽なたくさい枯草の匂い

何が起ろうと生き残れるのはあなたたち
まっとうとも思わずに
まっとうに生きているひとびとよ

 果して、アフリカの光景を「未開」、茨木のり子の詩を「反動」などと言って済ますことができようか。すくなくとも私はここに、人の心の在りかを確認することができる。

 「そんなことを言っても始まらない」と言う向きもあるかもしれない。だが、始まるのである。

 現に我々は始めた。現実的に、ひどく漸進的なやり方ではあるが、文化の再建をすでに始めているのである。