精神の新陳代謝

 原理的にいえば、精神の新陳代謝を賦活することで、日々を奇跡の連続として知覚しうる。

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 米を毎日旨く感じるように、朝ごとの太陽のかがやき、夜ごとの星々のきらめき(曇りならばその雲の運行)などにも、我々は毎日感嘆できるはずなのだ。だがやはり、米を旨く感じるには腹がすいている必要があるように、〈ただ在るもの〉である自然の営みに感動するには精神をすかせておく必要がある。
 身体の代謝を促進するのに運動が必須なように、精神の代謝を促進するには「精神の運動」が必須であろう。精神をよく動かし、取り込んだ経験を次々に燃焼させること。精神の運動にあたるのは、上空へ飛翔し、そしてまた地上へ舞い降りる動きであると思う。
 
 そうして精神の腹をすかせたならば、つまり、あらゆるものはむなしいと観じたとき、いまここに〈ただ在るもの〉の美を我々はみとめる。