棚田全段流し素麺ふりかえり
八月十五日、棚田を全段使って流し素麺をした。
全長は100メートルほどだろうか。大量の竹を切ってきて、炎天下、皆で割り、節を抜き、継いで、棚田に渡すまでの作業はなかなかの重労働だった。
はじめての試みだったこともあり、当初の想定より時間がかかったが、竹を棚田の上から下まで渡せた時には、えもいわれぬ達成感があった。
「棚田の上から下まで全部使って流し素麺したらおもろいんちゃうん」と思いついてしまったのが事の発端である。そこには、目下建設中の鶏小屋に竹が多く要るために、流し素麺をするという体で他人の手を借り必要分をみつくろいたいという、打算的な目論見もあったことをここに白状しておく。
人が集まれば楽しいだろうと思ったし、竹を切ってくるのに人手がほしかった。何人か友達が来てくれればな、という軽い気持ちからフェイスブックに告知したら、ある方が知り合いに声をかけてくださって、当日蓋をあけてみれば、ぞろぞろと何組もの子連れの家族がやってきた。
こうなると、やるしかない。正直にいうと、当初は、仲間内でやって、たぶんしんどいから、妥協してせいぜい棚田の半分くらいでそこそこのものをやることになるだろうと高を括っていた(竹は鶏小屋に使う分はそれで十分まかなえたし)。だが、総勢20名も集まってしまってはキチッとやらないといけない気になる。あまつさえ子供らの手前、半端なことはできない。数人来ていた友人たちもおそらく同様の気持ちだっただろう。
そんなこんなで、本気を出さねばならなくなった。もう必死である。段取りを前倒しして、前日と当日の朝、大量の竹を友人たちと切って車に満載して運んだ。家族連れが到着してからは、なにがなんでも全段に竹を渡そうと、作業の分担と進行に頭を悩ませながら、ひたすら手を動かした。
そうして、なんとかできた。
途中、「こんなんほんまにできるんかい」とか「こんな大変なこと言い出さんかったらよかった」という思いもよぎったものの、こうして友人の撮ってくれた写真に映った皆の楽しげな顔を見れば、やってよかったと思う。子供らには大人の本気を見せることができたと思うし、何より自分たちが楽しかった。
ちなみに翌日は、疲労感にみまわれて、ほとんど何もできなかった。朝早く片づけだけしに行って、帰ってまた昼まで泥のように眠った。身体の倦怠が、精神の満足を裏打ちするようだった。本当に、よくやったものだと一日たってあらためて感じた。
ところで、棚田では、春に火の玉サッカーや走り高跳びもした。こうした遊びの範疇に入ることも、大人になってからしようとすれば、その規模や程度が背丈同様大きくなるが、それをも容れてなお余りある野山である。
特に棚田は、見目はきれいだし、平面もあれば段差もある。栽培という第一の目的を充しながらも、人間と自然が交感しうるその他の余白を多く持つ、おもしろい里山空間である。
わたしは今後も、この棚田でいろいろと悪だくみをしていきたいと思っている。