鶏舎建設まとめ

 先日、ようやく鶏小屋が完成した。

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 おもえば、三月末に建てはじめてから五ヶ月もかかった。といっても、梅の咲きのこる時分に柱だけ立てて、それから七月末までは完全に放置していた。すぐに農繁期に入り、構っていられなかったのである。柱を立てれば、忙しいなかでも建ててゆく気になるかと思ってやったのだが、気分も乗ってこなかった。

 それが、七月、田畠の仕事も落ちついてきて(正直、すこし飽きてもきて)、鶏小屋を建てるなら今だと一気に取りかかった。この機を逃せば、すぐまた冬野菜の種まき時期が来る。それまでに建ててしまおうと。

 だからつまり、実質は七月末からひと月で建てたことになる。何事においてもそうだが、わたしは気が乗りさえすれば、集中してその事に取組むことができる。裏を返せばそれは、着実に少しずつ積み上げるということができない、ということにもなるわけだが。

 ともあれ、鶏小屋はできた。もっとも、鶏を飼うまでには、内装(!)や柵の設置などすべき事はまだあるわけだが、一段落は一段落なので、これまでの建設作業をふりかえってみたい。

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 三月はじめ、友人と建設予定地にあった梅の木を掘り上げ、別の場所に移す。

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 三月末、友人が数人来てくれたので、間伐したヒノキのなかから手頃なものを選んできて、柱として立てる。ちなみに、鶏小屋を建てさせてもらっている場所は、わたしがいつもお世話になっている森下さんの敷地内。柱の丸太も、写真左上のヒノキ林からもらった。

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 以後、七月末までこの状態で放置。

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 五月には、知り合いから名古屋コーチンの雛が一羽届く。最初のほうこそ順調に見えたが、生まれつき脚が曲がっており、大きくなるにつれ自重を支えきれなくなって弱り、七月には死んでしまった。つまり、鶏小屋はできたものの、実はまだ肝心の鶏がいない。雛をくれた知り合いのところでもオスが高齢のために有精卵ができないらしく、十月まで待ってみてネット等で購入するつもりだ。

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 七月末、またも友人に手伝いにきてもらい、ようやく屋根に取りかかる。昨秋に切っておいた竹を山からおろし、半分に割って上下互い違いにし、波板状に設置する。この案は、いつぞやネットで見かけたバンブーハウスのものから拝借した。

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 屋根に取りかかったはいいものの、切っておいた分だけでは足りず、あらたに切ってくる羽目になる(秋冬以外に切った竹は傷みやすいが、仕方がない)。しかし、予想以上に本数が要ることと、切ったばかりの青竹は重く、大量に運んでくるのが自分一人では大変なこととで、半分ほどまでは一人でして、あとの分は誰かに手伝ってもらって切ってくることにする(ここらへんで件の棚田全段流し素麺を思いつく)。

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 八月あたま、一人でできるところをしていこうと、南側の壁を張る。南側は窓を作らないので、単純に板の長さを合わせて張ってゆくだけ。ちなみに壁板は、バイト先(材木屋)からもらったスギ板(バイト先が材木屋でよかった)。

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 ここまでくれば調子も出てくる。日をおかず、東側に取りかかる。東側は一番目立つし、窓や出入り口を作るので、いろいろと思案しながらの作業になる。壁は鎧張りにし、見場を良くした。

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 そのままの勢いで、東側の壁、窓、扉を作る。扉は、これまた森下さんの納屋に眠っていた昔の建具をもらい、流用している。ここまでやって、扉の上のスペースに看板があればいいと思い、字の上手な森下さんにお願いしてみる。

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 看板を頼んだ翌日、とんでもない代物が森下さんから返ってくる。ただのヒノキの白い板をお渡ししたところ、まずバーナーで表面を焼き、サンダーで磨いてから、字をしたためてくださって、ものすごい仕上がりのものになっていた。

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 その後、看板に圧倒されて作業はやや失速するも、盆の頃には壁が全面完成する。もうこの段階にくると、だいぶ作業にも慣れて、同時にすこし飽きてくる。

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 八月十五日、いよいよ棚田全段流し素麺の日。目論見どおり、大量の竹を皆で切ってくることができた。鶏小屋の屋根に流用するにはいささか多すぎたのではあるが。

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 流し素麺で使った竹で屋根を全部葺く。その上に太い鉄の棒(これも森下邸にあったもの)を渡して強風で飛ばないようにする。

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 最後に、鶏小屋には最も不要な(もったいない)部分であるところの、廂を作る。ヒノキの角材で骨を組んで竹を葺く。正直にいって、この工程に一番時間をかけたし、苦労した。

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 かくて鶏小屋は完成した。

f:id:shhazm:20160903193215j:image(正面からはあまり見ないほうがいい)

 間近でつぶさに見てゆけば粗い部分も多いのだが、「鶏小屋にしては」十分すぎる出来だと自負している。

 こういう本格的な小屋を建てるのは初めてだったものの、やってみれば案外できるものである。要は柱を立てて屋根と壁を取付ければできるのだ。生きるか死ぬかの局面に臨んだ際、人は先入観に反して恐怖をおぼえない(サン・テグジュペリが書いていた)ように、何事も一度その渦中に入ってしまえば、人はそれなりに対処できるものなのだという思いを強くした。

 もちろん、今回の場合、森下さんという心強い助言者や、書籍やネットという参考図書の存在にも助けられた部分はある。しかし、わたしはなるべくそうしたものに頼らまいとしていたし、そうしたものを半ば遠ざけてもいた。それは、自分のこれまでの人生において培ってきた、身体の動かし方やこの世界への接し方に関する蓄積を総動員することで、大方のことはできると信じていたからであり、またそれを確かめたかったからである。

 今回、助言や情報にあまり頼らなかったこと、鶏小屋には不必要と思える箇所にまで手をかけたことには、別の理由もある。かねてからわたしは、自分で小屋を建てて住みたいと思ってきた。そう遠くない将来に実行するつもりでいるのだが、たまたま鶏小屋を建てる機会が先にめぐってきたので、来たるべきその時のための練習を兼ねてやろうと思ったのだ。

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 結果として、思っていたよりも良いものができたことで、わたしは自信(自惚れともいう!)を深めた。一歩前進したという実感を得られたことは、生きてゆくうえでの活力になる。確かな一歩を踏むことでしか、次の一歩を踏み出すことはできないから。

 さしあたって(死ぬまで)重要なことは、一歩また一歩と前進することであると信じる。われわれがどこにも行けないのだとしても。