味噌を仕込んで

 立春に入ったきょう、はじめて自分で作った大豆で味噌を仕込んだ*1

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 大豆栽培・味噌作りは、わたしにとって米作りに次ぐ重大事である。

 これら二つは、自給生活における「食」カテゴリーの仕事の最優先事項であるばかりでなく、下位を大きく引き離している。なぜなら、米と味噌さえあればとりあえず生存できるであろうからだ*2

 その意味で、他の食材はほとんど嗜好品と見なしてもよい。生活の自給には、包括的な仕事と平衡感覚が要求される。文化的枠組みのなかで、まずは生存の条件を充たすための幾つかの仕事を優先すべきであり、それらに傾けるべき時間と労力を、あってもなくてもよい物のための仕事や何か一つの仕事のみに使いきってしまってはならないのである。

 われわれの多くが、一日の大半、週の大半を囚われの身でありつづけるのは、こうした包括的な仕事や平衡感覚に欠けるためだ。

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 大豆を栽培し、その大豆で味噌を仕込むところまで来たことは――味噌ができあがるまでには今しばらく期間を要するものの――、領土の奪還に似た感覚をわたしに与える。ある一つの重要な部分が、きょうわたしに復帰したのだ。

 例によってこの味噌も「無政府味噌」と呼称したい。

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*1:大寒のうちに行うのが本来ではあるが、もたもたしていたらきょうになってしまった

*2:どこぞのデクノボーも「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」云々と言っていた