野性奪還戰線

奈良の大宇陀に移住してきたやつのブログ

至福の反復としての里山生活

 今年も夏がきて、米作りの仕事が増えてきた。

 わたしはいま、棚田に水をためるための畦塗りを順次すすめている。土と水と天気を相手に、相談し、挌闘し、懐柔し、歎願しながら、和解してゆくのがおもしろい。

f:id:shhazm:20170525105411j:image(畦塗りをしてそこに大豆を播く。刈り草を乾燥と鳥害防止に置いてある) 

  畦塗りがきちっとできると、自然の内に人工してやった感でぞわぞわする。塗った畦がコンクリート様の見た目で、凸凹のない曲線だからというのもあるが、なにより自分の手で陸地を湿地に変えてしまえたからだろう。たしかにここにはある種の恍惚があるから、ここから自然破壊にいたる道筋には納得できる部分もないではない。

 が、塗って水がたまるやいなやカエルどもが集まってくるのには、彼らに生きられる場所を提供してやった得意さを感じるとともに、どこか自分のほうが救われた気がする*1。畦塗りという人工がむしろ、こうして生物多様性を富ますことには別種の恍惚があるのである。つまり、ここにとどまるかぎり、人工と共生、二つの恍惚を味わいつづけられるわけだ。

 わたしはいま「とどまる」と書いた。というのは、こうした「里山」の均衡状態を超え、それを一段階としてより人工的に自然を統御してゆくことも、現にわれわれはしてきたように、われわれにはできるからだ。

 しかしそれは、環境破壊につながるばかりでなく、共生の恍惚を放棄することである。一方を捨て、もう一方だけを取るとは禁欲もいいところだ。いまこの地点から見返せば、われわれの「文化的」生活のほうがかえって寡欲的で、里山生活のほうが強欲的であるとすらいうことができる。

 換言すれば、いま里山に生きなおすこと(里山保全ではない!)はきわめて妥当でありながら、なおかつそこには、ふつう考えられているような無欲な消極性とは真反対の、貪欲な積極性があるのだ。しかも今や、かつてのような技術的また階級的な制約はなく、われわれは自主的な意志によって里山生活を選ぶことができるのである。

 これまで里山は、手段であっても目的とされることはなかった。里山環境を途上と捉えるのではなく、極地と捉えること。いま里山に生きなおすことは、外形的には復古であるにせよ、精神的にはまったき革新なのだ。

 この辺のことはしばしば勘違いされる。実際、復古的にやっている連中もいるから、その点すこぶるやりにくい。

 里山に暮らすことは、人間が自然に復帰する道であるにはちがいない。だから、復古的形質をおびるのは避けようのないことだ。が、過去のある時点を憧憬することは、苦しくむなしい自己否定に帰結する。是非はともかくとして、われわれは現在に否応なく自己同一しており、現在をおいて他に開始地点はないはずである。

 さらにいえば、われわれの向かうべき里山は以前の里山ではない。われわれはいまや、より多種共生的な方法をもって里山を形成しなおすことができるのであって、昔日の仕方であるという理由だけでその仕方をなぞるべきではない。

 他方、里山生活を革新的と見る連中とて、その多くは口が先行しがちなうえ、自身の土に触れる機会きわめて僅少にして、観念的で皮相なイメージの流布に終始し、結局は里山生活を流行カタログのひとつに貶めている。こうした輩は復古的な連中よりも邪魔な存在である。

 記憶や記録といった、先人や他人の経験の参照可能な蓄積があるからといって、われわれは、自身の十分な日常的経験なくして自然を語ることをつつしまねばならない。里山は、多くの他の生物と、他ならぬ人間の不断の直接行為によって成立するのであって、たとえこちらが自然の重要性やすばらしさを声高に言ってみたところで、自然のほうから出向いてきて胸襟をひらいてはくれない。言葉はあくまで人間間の疏通道具でしかなく、里山の言語とは、おのれの身一つの行動なのだ。

 それに、自然は人間にとって決して生易しいものではない。牧歌的に映る里山の景色とて、多大なる労力の発揮によってやっと維持されているのである。口を動かしてばかりいないで、まずは土の上で手足を動かし、土の言葉に耳をかたむけてほしいものだ。

 おまけに、里山生活は相対化してよい類のものではない。流行り廃り、好き嫌い、合う合わないの次元の話ではないのだ。里山がわれわれの生存の基盤である以上、むしろ普遍不易のカテゴリーの筆頭に位するものなのである。

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 「里山」という概念と実際の空間とは、爾今ますます重要になってくるはずである。

 人間と自然との(また人間と人間との)「入会地」として。相侵さないための緩衝帯として。そしてまた、より積極的な意味において、互いの営みによって相乗的に自他の生活を豊穣化する共生空間として。人間社会の中に自然を呼びこみ、自然の中に人間社会をさし戻すためにも

 里山は、自然の範囲にまで拡張された社会空間であり、人間社会をも含めた自然空間ということができる。

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 人間が狩猟採集から農耕に移行したことで、地理的に里山は生じた。里山環境に適応した生物も多く、その意味で里山は、人間と自然の合作であるといえる。進歩史観的視点から見ればそれは、人間の過渡的な妥協策であるにせよ、今後は、人間にとって究極的かつ積極的な生活空間として里山を位置づけ、これを運営しつづけてゆくべきだとわたしは思う。

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 里山の維持は農耕を軸におこなわれるから、農耕という営みもいま再び照明されることが望ましいけれども、これまでの農耕とこれからの農耕とは、里山の捉え方とともにその性質を変容されねばならず、そのあたりに微妙な問題が横たわっている。

 農耕は最初、天候不順や食糧難にあたっての苦肉の策だったかもしれない。しかしそののち、農耕の知識の蓄積と技能の向上とが食糧の増産をとおして、人間の覇権を決定づける基礎となったことは明白で、そうした現代文明にまでつながるという点に従来の農耕の功罪がある。

 従来の農耕はごく社会的な営みとして行われてきたといえる。農耕には必然的に自然との交渉という性質のあることはいうまでもないが、そうした部分は、社会によっても、従事する当人たちによっても閑却されてきた。自然と照応し交感しながら食糧を生産する農耕の共生的営みそのものではなく、社会的な利益と支配をねらった増産が主たる目的とされ、社会的富としての収穫高ばかりに目がいってきたのである。それは、現代主流のいわゆる慣行(!)農法の形態を見てもあきらかである。

 無論、農耕という行為の主目的は食糧の獲得ではある。けれども、それはあくまで生存のための食糧である。それを矮小な人間の社会的価値に転化することは、人間が生物界において孤立し、つけあがり、さらには互いに食い合う、高度に入り組んだ自閉的無援世界に行きつかせざるをえない。そこでは、あらゆる社会問題が根本的には永遠に未解決のまま、それぞれきわめて利己主義的な立場からの不毛で観念的な議論がくりかえされ、そのせいで無益に血と涙が流れつづけるであろう。

 われわれの社会が農耕を前提し、農耕が自然を前提している以上、自然から遊離することで社会が機能不全に陥るのは原理的に必定である。したがって——もしわれわれがそれを望まないとしてだが——これからの作業として、社会を自然に埋めもどす必要がある。人間は一人では生きられないが、人間は人間だけでも生きられないのだ。

 もっとも、社会を自然に埋めもどすといっても、原始的な狩猟採集生活をすべきだとは思わないし、それが現実的な策とも到底思えない。現状、人口的にも文化的にも農耕をつづけない手はない。

 農耕は「二次的自然」としての里山を形成する。それはすなわち、人間を含んだ自然なのだが、そこには、人工と自然との均衡がたもたれるかぎり、という注釈がつく。そのため、より共生的な農耕の形態の確立と普及がまたれる*2

 自然の他者性を、統御すべき対象としてではなく、そのまま享受すべき対象として捉えなおすこと。

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 ところで、自然はくりかえす。毎日太陽は昇って沈む。春夏秋冬が順々に巡る。それに沿って各生物がおり、互いの存在を前提しあいながら、めいめいの暮らしをくりかえしている。とすれば、里山に生きるにはわれわれもくりかえすことが肝要だ。

 くりかえされることはよく疎まれる。が、それはその事柄がくりかえすに値しないからだ。あるいはそれが、くりかえすに値する方法で為されていないからだ。あるいはまた、彼の感性があまりに「社会的」になりすぎているからだ。くりかえし自体はごく自然的なのであるから。そしてたとえば、毎日毎日のぼってくる太陽に、毎年毎年やってくる季節の諸相に、現にわれわれはきまって感動できている(この事実は救いですらある!)。その意味で、自然と番った事柄をくりかえし行うことは、われわれにくりかえし無上の悦びをあたえるはずである

 ここに、里山が途上ではなく極地である所以がある。ここに、里山生活が復古ではなく革新である所以がある。

 われわれがいま、われわれの行動と方法と感性とをえらびなおしさえすれば、里山生活は至福の反復となるのである。

 

参考

yaseikaifuku.hatenablog.com

yaseikaifuku.hatenablog.com

yaseikaifuku.hatenablog.com

*1:実際、鶏の餌として、彼らのタンパク源として、実利的にもカエルたちの存在には助けられている

*2:この辺の議論には、過去記事『耕さない農耕』を参照してもらいたい