日記「何も言いたくなくなる」
十二月三日(日)
快晴。
ゆうべは川上村の友人宅で大豆の選別作業、そのまま泊まって、今朝十時すぎに大宇陀に帰ってくる。鶏に餌やり、脱穀した米の天日干し、黒豆の残りを収穫、昼飯、米の取り込み、草刈り、棚田の法面の修復。
(筵にひろげて干す)
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もう十二月である。おもえば十一月は、稲刈りからの棚田の保守点検、米の脱穀、大豆の脱穀選別*1、と、つづけざまに何や彼やあり、それらを日々淡々とこなしていたら日数が経っていたというかんじだ。次は気づけば年が明けているだろう。
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脱穀選別をするなかで、米と大豆を手に触れまじまじと見ているからか、最近よく『星の王子さま』を思いだす。王子さまが、自分の星のバラを特別に(その他のバラと区別して)好きなのは、自分が世話をしていたからだと気づくシーン。
米も大豆も、米と大豆であることにちがいはない。しかし、わたしにとって自分の栽培した米と大豆は、日本人一般にとっての主食や主要な蛋白源ということ以上のものを感じさせる。もはやこれらを、他の米や大豆と同等にあつかうわけにはいかない。
おそらくこうした関わりの長さや深さが、何事においても物を言うのだろう。こんなことはアタリマエすぎるし、今さら言うのも気恥ずかしいものだが、たとえいろいろ別のことを言っていたとしても、結局はこんなにも単純なことが何よりよろこばしいのだという気もする。
だからもう何も言いたくなくなる。