日記「幸福の証明」

十二月十六日(土)

 曇り時々小雨。

 終日黒豆の脱穀をした。

f:id:shhazm:20171216201731j:image(十一月、熟すのが遅く、一株残した黒豆に入り日がさしていた)

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 黒豆は、先の青豆と比べて量がなかったから、全部手で莢をはずした。足踏み脱穀機を使ってもよかったのだが、手を動かしながら考えごとをしたかったし、なによりきょうは自分の手だけで事を為したい気分だった。

 焚き火の前で枝からひとつひとつ莢をむしるあいだ、わたしは独り幸福でいた。幸福——この言葉でよいのかいまいち釈然としないものの、これが幸福でなかったら一体ほかの何が幸福であるというのか。社会とは掠りもしない、社会には何も担保されるところのない、ただわたしという一匹のホモサピエンスと、その蛋白源としての大豆という植物たちとが触れ合っているだけの静かな時間が流れていた。

 手を動かしながら、わたしは今こんなにも幸福であるのに、それを知る者、見る者のいないこと、まして同様のことをする者の今やおそらくきわめて少数であることが、不思議に感じられた。ここを離れて一体どこへ行こうというのか。

 日も暮れ、夕餉をすませても、服についた煙のにおいが、わたしの幸福を証明しつづけている。