奥野克巳さんからの熱烈なご紹介について
先日、光栄にも人類学者の奥野克巳さんに『つち式』をご紹介いただいた。
『つち式』(@tschshk)読む。農耕実存マルチスピーシーズ民族誌現れる!ピュシス7割、ロゴス3割(文学と思想から成る)。退治した蝮肉を鶏と分け合い、鶏は可愛いくかつうまそうと語り、米・大豆・鶏卵の自給に充足し、稲籾をほなみちゃんと呼んで慈しみ、異種関係を蔑ろにする現代社会を鋭く批判。脱帽。 pic.twitter.com/WAvrITeYt2
— 奥野 克巳 (@berayung) 2018年10月13日
奥野克巳さんといえば、先ごろ出版された『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』でも有名な気鋭の人類学者である。今回、思いがけず取り上げていただけたことは、まさに棚から牡丹餅というべき事態であり、その好運に自分でも驚いているところだ*1。
引用したツイートにある「マルチスピーシーズ」とは、人類学のあらたな潮流のキーワードである。その名も「マルチスピーシーズ人類学」が主題とするのは、人類という単一種だけでなく、人類と人類でない異種たちの関係の生き生きと重畳する世界だといってよいだろう。奇しくもそれは、雑誌『つち式』の主題と大きく重なっていたのだった。
「生きるとは・・他の生き物たちと生きかわすこと・・それは、多種多様な生成子たちの、それぞれの個体への作用とそれぞれの個体の外部の作用の、複雑にからみあい織りなす布の一糸となることである」。傑出した社会学者・真木悠介の生命論と交差しつつ、マルチスピーシーズ思想の精髄が示されている。 pic.twitter.com/csx56j2sAy
— 奥野 克巳 (@berayung) 2018年10月14日
そして奥野さんは、日本のマルチスピーシーズ人類学の牽引者のお一人である。つまり今回、人類学と『つち式』とは、別個の経路を辿ってきて同じ地点で邂逅したのだ。
わたしのこれまでの道行きの途上に、多くの共感者がいたとはいえない。わたしはその道の大半を一人で歩いてきた*2し、『つち式』も数少ない仲間と制作したのだった。しかし今考えれば、本誌創刊はある意味最後の一歩であったのだ。からくもその一歩を踏み出した地点には、人類学の太い道が交差していた。
今、細い道から一気にひらけた場所に踏み入って、わたしは大変にうれしくありながら、少々動揺してもいる。そこではさかんに人々がゆきかっており、その光景は、これまでのことを思うと俄かに信じがたいのだ。この僥倖に早く慣れたい。
僥倖は僥倖を呼ぶ。前回記事で告知したが、この度、奥野克巳さん、石倉敏明さんとの鼎談イベントを開催できることが決まった。その経緯を書く。
上に引いた奥野さんの熱烈な紹介ツイートに接して、マルチスピーシーズ人類学への興味に駆られたわたしは、奥野さんたちのシンポジウムに出席するべく、熊本に行くことにした。
そう意気込んでいたところに、折しも奥野さんからお電話をいただいて、話は盛り上がり、なんとシンポジウム前日にトークイベントをしようということになったのだ。
長崎書店さんのご協力にも恵まれ、あれよあれよという間に話は進み、奥野さんのお誘いによって同じく人類学者の石倉敏明さんにもご登壇いただける運びとなり、『つち式』をめぐる鼎談の開催に漕ぎつけたという次第である。
今回の一連の「事件」には心底驚かされた。こうした種類の歓びには慣れていないからうまく言葉にできない。
ともかく、それもこれも『つち式』を作っていなければありえなかった話である。創刊して本当によかったと思う。
奥野さん、ありがとうございます。