農耕実存所信表明二〇一八

 今年の稲こぎをおえ、大豆の収穫・乾燥の時期にさしかかったこの頃、来年以降の動きについて考えることが多くなってきた。

 これからの展開として、①綿花栽培からの衣服自給にくわえ、②棚田のまわり、殊に棚田の用水としての沢の上流の杉林を雑木林に変えていきたいと思っている。山の麓で山水を用いて稲作をする以上、上流の森林環境の改善維持はほんとうには切り離しがたいことであるはずだ。

f:id:shhazm:20181118191107j:plain

 具体的な理由は、第一に山水の安定供給および含有養分の増加のため、第二に周辺環境の生物多様性恢復のため、また昨今の気候変動にともなう大雨時の沢の氾濫予防および山崩れ予防のためだ。現在、棚田のまわりの森は過去の植林によってスギばかりが植わっており、稲作を続けていくからには一刻も早く手を打たなければならないと思っている。

 これまでは、稲作のなかの稲を栽培するという点にのみ、力及ばず専念せざるをえなかった。だが稲作という営みは本来、周辺環境に支えられる事柄である以上、田んぼでだけでは済まないものであり、もっと広域において捉えるべきものである。だいたい、里山という概念と実際空間とを重視する立場を表明する身として*1、これは当然のなりゆきであり、当然着手すべき事柄であろう。

 そこでだ、きわめて長期的な計画になると思われるが、山のスギを伐っていき、それらを使って何らかの建造物を作りたい*2。なお、スギを伐ったあとにはドングリをばらまいておく算段だ。

 稲作をしながらであるので、この計画は冬期にしか進められないだろう。一切金にはならないだろう。むしろ金銭的にはマイナスにしかならないだろう。しかも、山の植生を雑木に転換したからといって、実益を得るのは下流で田んぼをするわたしだけである。 その上で、スギ林伐採および何らかの建造物建設に協力してくれる人がいればうれしい。

 少子高齢化、人口減少、経済不振、災害の頻発、食料自給率の低下、林野の荒廃、チンケで狭隘なナショナリズムの台頭、権威への自発的隷従傾向、謎の縄文ブーム、等々、我々をとりまく社会状況は絶望的かに思われる。このままでいいのか。今再び農耕民の本領を発揮すべき時ではないのか。

 というのはまあ冗談だが、それでも、ここらで一発、というか一生やっていきたいと思う。視点や観念上の転換ではなく、実際的根本的それゆえ漸進的かつ全身的な土の上の問答無用の農耕実存マルチスピーシーズ生活実践として!

 

*1:つち式 二〇一七』「至福の反復としての里山生活」参照

*2:山の所有権は分割されており、まずは持ち主との交渉から進めていかなければならない