夏野菜採れだす

 ようやく我が畠でも夏野菜が採れだした。

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(暮れ方の畠)
 

 四月に越してきて、耕作放棄地のゴミ取りと畝立てから始めた畠は、数々の作物が植わってすっかり畠然としている。

 農法は、川口由一氏の自然農に習って、不耕起、不除草、不潅水、不施薬、不施肥、で行っている(ただし、痩せている幾つかの箇所には裏山の腐葉土を地表に置いた)。機械も、定期的な畦の草刈りで草刈機を使う他は一切使っていないし、なんなら鍬さえ最初畝を立てるのに使ったくらいで、日常的に用いるものといえば、野菜より背丈の高い草を刈るための鋸鎌くらいなものである。

 そのようなほぼ放任の仕方であるが、ある程度の野菜はできている。去る先週末、街のガキ共が来た時も、モロッコインゲンとトウモロコシが収穫できたし、ミニトマトは早いものから色づき始め、オクラもぽつぽつ生りだした。

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 たしかに、一般的な栽培法と比較すれば成長速度および収量は劣るし、育たなかった野菜もある。が、一般的なやり方——肥料をこさえて鋤き込んで、草を抜いて虫を取って水をやって……等々——の多大な労力(機械を用いるならばその出費)を思えば、なに不都合なことやある、というものだ。種を播いて、時々周りの草を刈ってそれを敷きつめておけば、勝手に野菜ができるのだから、これほど容易い栽培法もなかろう。

 だいたい、自給用の野菜に手間をかける暇もなければやる気もない。ゆえに、できない野菜が幾つかあったところで、嘆くにはあたらない。それに、よし野菜が人間に飼い馴らされた生物であるにしても、生物である以上は、自力で生きようとする本能くらいは依然保持していようから、それを過保護にしては、その生命に不遜であるとすら思われる。
 
 ともかく、要するに私は怠惰なので、他の農法での野菜栽培など到底無理な話だということで、それでもこうして収穫が得られるというのは、この世にもある種の情けが働いているのだろうと思う夏の夜。
 
自然農・栽培の手引き

自然農・栽培の手引き