「全ては土から得られる」

 きょうの私は、気持ちのいい晴天も手伝ってか、いつになく晴れ晴れとした気分だったので、休みであるにもかかわらず、気分に任せて日がな一日野良仕事に精を出した。べつに気分が乗らずとも畠はするのだが、きょうは身体がひとりでに動くかのように、夢中で種を播いたり、草を刈ったりした。終始妙な感じがしていたが、昼飯を食わずとも平気で日暮れまでしていたところを見ると、やはりどうかしていたと思う。

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 こんな日には、これから先のあらゆることが首尾よく運ぶような気がしてくる。我ながら呑気なものだと、全てのものが鮮やかに彩色された昼日中、小休止で煙草を吸っていたら可笑しくなった。まったく、そんなことがあってたまるか。

 それから、「全ては土から得られる」という、至極当たり前の事実をふと想い出して驚いた。それはまるで、風に運ばれてきた懐かしく新鮮な匂いが、鼻腔を掠めてハッとする時のような、驚嘆と軽い後悔とが綯い交ぜになった感覚であった。無論、それを想い出したところで状況が一変するわけではないが、この不動の事実への再認識が、私にえも言われぬ或る活力を見出させた。「そうだ、そうだった!」と、キャベツを播き終えた畝を眺めながら内心有頂天になった。

 今この記事を書きながら、私はそのことを反芻している。そうなのだ、食糧も水も燃料も何がしかの材料も(おそらく、果ては生きてゆく理由も)、直接ないし間接に、全ては土から得られるのである。こんなにも当たり前のことはこの世にないとさえ言える事実を忘れるとは、どうやら私もまだ近代文明に化かされているらしい。実際、全ては土から得られるという事実は再発見されるべきものだったとしても、私自身が依然途上にいることに何らの変わりはない。変わりはないのだが、この事実だけで、私はこの先も生きてゆけると思った。

 「全ては土から得られる」。来たるべき再度の忘却に備えて、ここに明記しておく。